学年講座として9年生(中学3年生)を対象にした今回のグローバルキャリア講座は、『特定非営利活動法人 難民を助ける会(AAR JAPAN)』の櫻井佑樹さんをお招きして、これまでの支援活動について、タジキスタンとザンビアでのご経験を中心にお話しいただきました。
「私が国際協力を志したのは、中学2年生のとき、杉原千畝のテレビドラマを見たことがきっかけです」。杉原千畝が職を賭してたくさんの命を救った姿に感動して「将来は国際的な仕事に就く!」と決心した櫻井さん。その身近な動機は生徒たちの気持ちを引きつけます。
大学生のときに『難民を助ける会』の方からお話を聞く機会があり、NGOの活動にも興味を持っていた櫻井さんですが、卒業後は原子力安全研究協会に就職します。しかし、国際協力への想いは消えず、『難民を助ける会』での活動をはじめました。
『難民を助ける会』は、緊急支援、障がい者支援、地雷対策、感染症対策、啓発という5つの分野で活動し、1997年には、地雷禁止国際キャンペーンの(ICBL)の主要メンバーとしてノーベル平和賞を受賞しています。
櫻井さんは、この5つの分野のうち、「障がい者支援」を主に活動されてきました。
「障がいの有無に関わらず、全ての児童・生徒が、各自の特徴に応じた教育を受けられる。これが“インクルーシブ教育”です」
インクルーシブな社会への転換を目指すタジキスタンで、障がい者支援の一環として「インクルーシブ教育」の普及活動をされてきた櫻井さんは、その時の様子を、写真や映像、エピソードとともに伝えます。
タジキスタンはもともとソ連を構成していた国のひとつでした。当時のソ連では、障がい者は山奥の寄宿舎に隔離されての生活が余儀なくされており、そこが唯一の教育の場所でした。
さらに、寄宿舎には定員があったため、ほとんどの障がい者が教育を受けることすらままなりません。
そんな状況のタジキスタンで、櫻井さんは、学校の先生に“障がい者教育”を伝えるための研修や、地域での啓発活動などをされていました。
障がいを持つ子どもの居る家庭を訪問し、特別支援学校に通わせるよう親を説得していたときには、「では、今すぐ学校を見たい」ということになり、すぐに近くの特別支援学校に向かった結果入学が決まったこともありました。
「障がい者支援において目標にしているのは“制度を変えることではなく、意識を変えること”です。重要なのは、障がい者が私たちと一緒にいることです。将来もし、障がい者になったら、階段を上がっているときに、『ここに手すりがあったらな』といったことを思うようになります」。
櫻井さんは、障がいも“個性”であり、走ることが得意であるとか、勉強が得意であるということと同じことなのだと伝えます。
「みなさんひとりひとりが、関心を持つということがいちばん大事なことです。もし、障がい者と生活をすることになったら、身構えずに友達と同じように接してください」。
ひとつひとつのことば、エピソードから滲みだす櫻井さんの誠実でまっすぐな人柄と、支援活動の意義を感じとった生徒たちは、そのメッセージをしっかりと受け取りました。
講義後の質疑応答は、人の意識を変えていくためのよりよい方法について、櫻井さんと生徒たちの意見交換の場となりました。じっくり考えながら伝えられる答えは、生徒たちの考えを、さらに深めるきっかけにもなっていました。
初志貫徹、少年の頃に抱いた想いを実現して国際貢献をする櫻井さん。その生き方から、自分たちそれぞれの想いや行動が、“よりよい社会”をつくっていくことを学びました。